体力テスト(スポーツテスト)の中には、柔軟性を測定する種目の一つとして「立位体前屈」が含まれていました。体力テストは1999年に改定になり、「立位体前屈」は「長座体前屈」に変更になっています。
ラジオ体操の中にも体前屈運動が多く含まれています。しかし、ラジオ体操の内容も1999年に見直しがなされ、新しく「みんなの体操」がつくられました。「みんなの体操」は、立位でも椅座位でも行うことができますが、立位においては、体前屈を行う動作では、手を膝に当てて上半身を手で支えるようになっています。
なぜ、このような見直しが行われたのでしょうか? 実は、体前屈には、安全性と効果の両方の観点から問題があるからなのです。
ところが、せっかくつくられた「みんなの体操」は、ほとんど普及していません。そして、いまだに主流は「ラジオ体操」です。
【なぜ体前屈は問題か? 脊柱の構造をみてみよう】
脊柱は、椎骨(ついこつ)とよばれる、缶詰めのような形をした骨が積み重なった柱構造をしています。椎骨と椎骨との間には椎間板(ついかんばん)とよばれる軟骨があり、脊柱の屈曲(体前屈)、過伸展(上体反らし)、側屈などを可能にしています。
図1 脊柱の構造 |
脊柱そのものは椎骨が積み重なった構造をしているわけですから、椎骨同士が前後や左右にずれてしまう恐れがあります。このずれを防止しているのが、背筋などの骨格筋群と後縦靭帯などの靭帯です。
図2 後縦靭帯 |
体前屈の主な目的は、腰部背筋を伸ばすことです。ところが、筋電図による研究では、立位体前屈のように深く体幹を前屈させると背筋(脊柱起立筋群)は活動を止めてしまうことが明らかになっています。こうなると守ってくれるのは靭帯だけになり、結果的に、後縦靭帯に上半身がぶら下がった状態になります。そのような状態でさらに体幹を深く前屈させたり、音楽に合わせて勢いよく前屈させたりすると、後縦靭帯が伸びていきます。
後縦靭帯が伸びてしまうと、椎骨がずれることを防止することができなくなり、椎間板へルニアや、脊椎管狭窄、脊椎のすべり症などの障害を引き起こしやすくなります。
もう一つ、椎間板の負担も考える必要があります。直立状態では、体重などの圧力は椎間板に均等に加わります(図3の左)。ところが、体前屈をすると、椎間板には偏った圧力が加わります。体操などで勢いを付けて体前屈を行うと非常に大きな圧力が椎間板の一部に集中するため、椎間板かつぶれてしまう「椎間板へルニア」を起こすことがあります。日常生活においては、重い荷物などを持ったまま腰を曲げた(腰椎を屈曲した)際にも、同様なメカニズムで椎間板へルニアが発生します。
図3 姿勢の変化に伴う椎間板に加わる圧力の変位 |
【体前屈の効果はあるのか?】
年を取ると人の姿勢はどのように変化していくでしょうか? 体前屈の能力が低下、つまり、腰背部の柔軟性がなくなることで、反り返った姿勢になっていくでしょうか?実際はその正反対で、腰が曲がった猫背になっていきます。この主な原因は、骨の老化(骨粗しょう症)に伴う椎骨そのものの変形(圧迫骨折)にあります。
このように、「年を取ると柔軟性が不足してきて体が曲がらなくなる」という事実はほとんど見られません。
太ももの裏側にあって股関節を伸ばす働きをしているハムストリングの柔軟性が低下することによって股関節の屈曲性は低下することがありますが、これは脊柱の屈曲とは別問題です。医学的に、柔軟性が不足すると腰痛を起こしやすくなることが知られています。しかし、このときに問題になるのも、腰背部の柔軟性(体前屈能力)ではなく、股関節の柔軟性です。股関節を完全に伸展できなかったり、股関節を十分に屈曲することができなかったりすると、骨盤の傾きがくるってしまうので腰痛を起こしやすいのです。
このようなことから、一般的には体前屈は行う必要がないと考えられます。必要な運動は、むしろ、ハムストリングのストレッチングです。ハムストリングの柔軟性が不足すると、立位で骨盤が後ろに傾いてしまい、脊柱の前後方向のバランスが狂い、腰部背筋や、椎骨・椎間板の負担が増し、腰痛を起こしやすくなります。
ハムストリングを伸ばすストレッチングは、実は、前回紹介した、膝関節を伸ばすためのストレッチングと全く同じです(図4)。
ハムストリングは、股関節と膝関節の両方を動かす役割を担った、専門的には「二関節筋」に分類される骨格筋群です。
膝関節の伸展性を高めたい場合は、膝関節を伸ばそうと意識しながら行い、股関節の屈曲性を高めたい場合は、股関節を曲げようと意識しながら行います。
図4 ハムストリングのストレッチング |
【まとめ】
しばしば目にする運動の中に、安全性や効果に問題があるものがたくさんあります。今回は、体前屈を取り上げました。
しかし、体前屈は行う必要性がなく、ハムストリングの柔軟性を高めることが、腰痛予防につながることを紹介しました。しかし、腰部の障害が原因で、結果的に腰背部の柔軟性が低下することがあります。これは「結果論」であり、「原因論」ではないので、間違わないようにしたいものです。腰部の障害にはさまざまな種類があります。腰が痛む場合は必ず整形外科を受診し、医師の指示にしたがって運動を実施してください。
<プロフィール>
西端 泉(にしばた いずみ)
川崎市立看護短期大学教授、日本フィットネス協会理事
主な研究テーマ:
高齢者の体力・健康を維持・増進するためのレジスタンス・トレーニング
安全性を優先した健康づくり運動の開発
認知症予防・改善のための運動
発達障害を有する子どものための運動